筆者は聖書の専門家ではないが、これを素直に読む限り、新約聖書(イエスの教え)が金利を否定しているとは受け取れない。もし金利を否定するなら、タンス預金した者の行為を褒めこそしなくとも、否定はしなったはずだ。金利をもらって堕落するくらいなら、タンス預金でよいのだと。
いうまでもなく、このタラントのたとえは、のちのプロテスタントの「天職概念」にも関係している。主人を失望させたこのタンス預金した者が結局どうなったか。これも非常に示唆深い内容だが話が脱線するので触れない...
今回のコラムは、「経営者の監視ができる仕組み」に関する現行のコーポレートガバナンス制度の有効性を前提としつつ、経営者の不正がなくならない原因について考えを述べてみたい。