1923年の関東大震災では、浦賀船渠からの出火、山崩れなどが起き、震源であった横浜に近い浦賀の市街も甚大な被害を受けた。だが復旧を遂げ、1940年には海軍監理工場に指定されることになる。
1943年には海軍監理工場が浦賀造船所と改称する。第二次大戦時に空襲に遭わなかった浦賀の街は、戦後、急速に賑わいを取り戻した。そして1962年、玉島デイゼル工業という会社と浦賀造船所が合併し、浦賀重工業という社名になった...
佐世保重工業や函館ドックを擁する老舗造船所の1つである名村造船所<7014>。その大阪工場・船渠跡地は2005年にクリエイティブセンター大阪という大阪のアート情報の発信拠点となっている。