東京郊外鉄道は1933年8月に渋谷~井の頭公園間の営業が開始。その後、社名を帝都電鉄と改称したが、その営業は困難をきわめた。小林一三、五島慶太を迎え、京王井の頭線は小田急の傘下に。その後、東急を経て京王の傘下に入ったのは、戦後のことだった。
渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線。営業距離はわずか12.7kmだが沿線の人気は高く、1日に360~370万人ほどの旅客が乗り降りする。この京王井の頭線の成り立ちには1920年代から繰り広げられた東急、小田急など東京郊外の私鉄の合併劇があった。
近鉄の歴史は、大阪電気軌道(大軌)から関西急行鉄道(関急)へと続く。その関急の系譜をたどると、3つの系統があることがわかる。3系統で15社の資本統合。M&Aを繰り返しながら関急が成立し、そして近鉄が私鉄の雄へと成長していく過程を追っていく。
資本統合を繰り返しながら路線距離が日本最大となった大手私鉄・近畿日本鉄道。戦時統合で誕生した関西の小さな鉄路(大阪電気軌道=奈良軌道)が、他の私鉄に出遅れながらも豊富な路線網のもと需要を取り込んで拡大していく過程を、2回に分けて追いかける。
「鉄道の資本移動の歴史」のスピンオフ企画。西武鉄道がかつて所有した休止線・廃線の「西武安比奈線」と「東京都水道局小河内線(俗にいう水根貨物線)」を訪ねてみた。
鉄道王・堤康次郎が武蔵野鉄道の支配に乗り出した。武蔵野鉄道の大株主となった堤は、配下の者を経営陣として送り込み、武蔵野鉄道の経営再建に乗り出す。ともかくも成功を収めた堤は、前編で述べた「旧西武鉄道」との競合・対立を、合併によって乗り越えた。
なぜ西武鉄道の設立記念日は、武蔵野鉄道が設立された1915年4月15日なのか。そこには武蔵野鉄道と旧西武鉄道との合併劇を主導した堤康次郎の存在が大きかった。
『鉄道の資本移動の歴史』連載の4回目は前回に続き東武鉄道の資本移動について。日本を代表する観光地・日光に、鉄道王・根津嘉一郎はどんな夢を見たのか。JRより早く、短く、さらに山奥へ。鉄路を延ばしていった歴史をたどる。
東京の副都心・池袋から埼玉県の川越・寄居に向けて北上する東武東上線。東武本線とは切り離されている路線だが、その埼玉県からの主要な通勤路線に育てたのは「鉄道王」と称された根津嘉一郎の功績の一つだ。
阪神・阪急の経営統合の真のねらいは、旅客輸送のシェアを高めるJR西日本に対抗して、阪神・阪急がJR包囲網を築くことにあった。その対象は、不動産・百貨店・ホテルなど、阪神・阪急の兼業部門にも及ぶ。
日本全国に伸びる鉄道網。戦後70余年はその拡大と縮小の歴史でもあった。その歴史には鉄道各社が掲げる「鉄の理念」と、ライバル会社との競争を生き抜くしたたかな「鉄の思惑」が交錯する。鉄道の資本移動という観点から、その歴史を振り返ってみる。