関東に「東京」があり、東海に「中京」があり、関西に「京都」がある。では、なぜ「西京」が山口県にあるのか。
山口県の観光情報によると、山口に一大勢力を築いた大内氏は百済国聖明王の第3王子・琳聖太子と伝えられ、推古天皇の頃、周防国(今の防府市)に着岸し聖徳太子から周防国大内県を賜ったことに始まるとされている。
大内氏の24代、長門・周防国の守護に任じられた大内弘世が1360年頃に政庁を山口に移し、京に模した街づくりを始めたといわれている。室町時代、栄華を誇った大内文化の始まりで、弘世は京の高い文化や情緒に感銘を受け、山口の一の坂川を京の鴨川に見立て、「西の京」として街づくりを行った。そのため山口は「西の京」と呼ばれるようになった。
この西京の名称を冠したのが山口県周南市に本店を置く西京銀行だ。その起点は1930(昭和5)年11月、徳山無尽共益という無尽組織にさかのぼる。第二次大戦下の1944年2月、徳山無尽共益は山口県下の下関無尽、宝栄無尽と合併して山口無尽を新立し、下関市に本店を置いた。
1951年10月、相互銀行法に基づく相互銀行の免許を受け、商号を山口相互銀行に改称。1970年4月には本店を周南市に移転した。旧相互銀行ながら1984年4月には山口県の指定代理金融機関となり、1989年2月に普通銀行(第二地銀)に転換。その際に商号を西京銀行に変更した。
2000年8月にベンチャー企業の支援を行うエス・ケイ・ベンチャーズ(山口県周南市)を設立した。2001年4月にはシンクタンクの西京総研(同)を設立し、さまざまなコンサルティング業務に乗り出した。一方、1994年に設立したクレジット事業子会社の西京カード(東京都江東区)については今年10月にJトラストに売却することを決めている。
西京銀行には2000年代にいくつかのトピックがある。まず、2005年6月に邦銀で初めて女性の副頭取を置いたことだ。当時、西京銀行は行内の不祥事について金融庁への報告義務を怠るなど、トラブルが起きていた。その過程では、積極的な東京進出構想やIT企業とのインターネット銀行の設立構想などもあった。
だが、一連の不祥事の責任をとるかたちで当時の頭取は辞任、第二地銀として堅実な地元回帰路線を進め、経営改善を図った。
また、2015年9月には、独立系中堅証券会社のアイザワ証券と包括的業務提携を締結するなど、金融他業種との業務提携も進めている。西京銀行の本店正面には西京銀行と同規模でアイザワ証券のサインがあるが、2021年1月に新下関支店、2月に周南支店、5月に本店営業部を「銀証共同店舗」とし、さらに2022年2月には山口支店、10月には宇部支店、2023年5月には岩国支店を銀証共同店舗とした。

銀証共同店舗はもともと金融界の規制緩和の産物である。1990年代に、銀行が子会社を設立し、証券業に参入できるようになった。2000年頃には銀行と証券会社の担当者が、共同で企業訪問することが可能になる。そして2004年には銀行で証券仲介業務が解禁され、昨2022年には上場企業に限られるが情報の共有手続きを簡素化した。この規制緩和の動きの中で、西京銀行では1998年12月に証券投資信託の窓口販売業務を開始している。
銀証共同店舗化は古くて新しい金融のあり方ともいえるが、西京銀行では県内での銀証共同サービスをさらに拡大することをめざし、アイザワ証券側としても、県内全店舗の共同店舗化を方針として掲げている。これは、第二地銀による“新しい地銀再編のかたち”ということもできるだろう。
文:菱田 秀則(ライター)
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